昭和20年(1945)5月18日(金) 朝八時半警報。
午前中、新宿駅より牛込の方へ焼野の中を歩いて見る。何処まで行っても赤茶けた焼けトタンの海。― 他の木や壁はまったく焼失せるゆえに、トタン板のみ目に立つかは知らねども、日本の家屋にいかにトタンが利用されおるかは予想外なり。木々黒々と枯れて立ち、風冷え冷えと吹けど、日は白く、見よ青き草ところどころに土陰にかなしく萌え出でたり。大いなるビルも窓枠焼けガラス熔けて、火炎内部を荒れて通りしか、黒きがらんどうの姿あたかも巨人のミイラのごとし。
山田風太郎著「戦中派不戦日記」より。
冒頭の「朝8時半警報」とは、多い時に数百機の大編隊を組むB29による空襲警報のこと。まもなく原爆を落とすことになる同爆撃機は、とくに終戦まで3ヶ月を切るこの頃からは各都市上空から大量の焼夷弾を徹底的に投下した。その熱風の凄まじさ『大いなるビルも窓枠焼けガラス熔けて』や空襲体験等もリアルに綴られている。それまでの私にとっての「焼け出される」という語彙の、とらえどころのない不明瞭なイメージが、この描写等によって解けたようにも思えた。




